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心がとっても楽になる方法

2008年03月16日

心がとっても楽になる方法
人間のバカさ加減が本当に分って来ると、
自分が可愛く楽しく
幸せに感じるようになります。
そして心が楽になってくると、
強がりが自然と消えてきて、
貴方を助けてくれる人が現れてきます。
本当に心が楽になるのか?
ちょっとだけ読んで見て下さい。

プロローグ


人のいい人ほど、思いの切り替えが上手ではないと言います。傷つき易く心配症でもあるでしょう。人の言葉にすぐ踊らされやすいし、周囲の目を気にして、ついついおりこーさんを演じてみたり、強がり屋さんであったりして、家に帰ってから、グダーッとなってしまう。昼間神経を擦り減らして生きている分量そうなってしまうわけで自分がどうにもならないでいます。

自分はどちらかというと負け組みなのですが、それでもなんとかかんとか生きています。もちろん過去にいろいろ失敗してますから、後悔している部分もかなりあります。基本的に心が弱く面倒なことから逃げるタイプなので、つくづくあの時あーすればよかったんだなあー・・・と間違いパターンをそれなりに理解できるようになってきました。だからこれからの若い人に同じ徹を踏んで欲しくないので、予防策としてちょっと伝えてみたい気がしました。軽い気持ちで仕事をしているとだんだん給料は下がって来るとか、こういう態度を取ると干されるとか女に嫌われるとか、男に相手にされなくなるとか結婚できなくなるとか、首になるとかです(^^;)

それにしても、人間したたかに負けてみないと分らないところがあります。負けて自分の現実が見えてくるようで、若い頃は理想が空回り(今でもそう)しているからすぐにうまく行くような錯覚を持ってしまうために、後が大変になるわけです。準備不足なのです。そして挫折感をひしひしと味わうわけですね。(--;)


ただ今だからこう言えるわけでして、当時は心の弱さが原因だと思っていました。つまり強いハートが決め手なのだと思っていました。

知り合いに5千万円借金している人がいました。私もその頃300万円ほど借金があったわけですが、面白いと思いました。300万円の借金で深刻になっている自分のようなものもいれば、5千万円の借金を抱えて、ひょうひょうと生きている人間もいるのです。最初は呆れて見てました。そんな姿勢だから仕事がうまくいかないんだ!となじっていたのですが、だんだん凄いなあと感心するようになっていった。自己破産者でもありませんから、逃げてもいません。ちゃんと少しずつ返済しています。それで元気に生きているわけです。確か6人家族で子供の教育費なんか考えたら、親としてさぞかし惨めな状態だと思うのですが、子供は明るく育っています。凄いと思いませんか?何が凄いって、明るい子供たちであるということがです。こんな凄い話無いですよ。ですから多少バカなのかも知れませんが、彼をそれなりに、尊敬しています(^^;)

このしぶとさというか、打っても叩いてもそう簡単に死なないゴキブリのような生命力! わたしも欲しいと思ったです。才能は先天的なものもあるし、職能的なものはコツコツ磨いていくしかないですが、しぶとい心というのは、一番ポイントが高い気がします。全ての対象を認識する大元が心ですから、その心が強くなればオールマイティーでうまく行く感じがするわけです。ですから強い鉄のような心臓こそ重要だと思っていました。

ところがです。(ーー;)

問題は、キーワードが強いハートだと思うと、単純に間違えやすいのは強がってしまうパターンで、これで何度失敗したか数え切れないのです。冒頭でも述べたように若い時機は自惚れていますから、それに輪をかけて強気でいきます。ところがまったく準備不足で中途半端ですから、たちまち挫折するのです。ほとんど間違えっ放し状態だったですね。格好つけるというか粋がるというか、それがポリシーのように習い性になっていた。強いハートと強がりの世界は天国と地獄ぐらいレベルが違うのですが、それがまったく見えていなかったです。だからやることなすことどうしても勘違いしてしまいます。

それで最近なるほどなあと思うようになった。確かに心は強い方がいいのですが、それはどういうことかというと、強がらないということだったのです。

本当に心の世界は面白いです。ハートを強くするんだ!と思うとみんな強がっていくんですが、ところが真実は強がらない生き方をすることが強いハートなわけです。(^^;)

なんて心はへんてこりんなのでしょうか(^^;)なんて人間はバカなのでしょう。あまりにもバカすぎます。

強がってしまったおかげでどれだけチャンスを逃したか? 仕事を失ったか? 婚期を逸し、失望し、気が付いた時は社会からも相手にされないような年齢になってしまったわけです。それは自分の事でもありますが、いずれにせよ強い心というのが、強がらないことなんだということが最近やっと分ってきた次第です。2,3日前知ったという感じです。情けないったらありゃしません。

まあそうやって完璧に勘違いして生きてきた結果、強がらないことだということは分ったわけですが、じゃあ弱がればいいのか?ということでして、そこが正直いって微妙なものを感じます(--;)


弱がっていると、消極的、失望的、病的、鬱的になる感じがするわけです。当然こういう状態が楽しいわけがないわけで、それで目いっぱい気分を変えるために、楽しいテレビを見、ネットをし、友達とお喋りし、外に遊びに出かけたくなってきます。人によってはサッカー場で騒いだり、芸能人を追っかけたり、ヤフーのメッセンジャーで交流したり、ワイワイガヤガヤしたところに足が向いてしまいます。オジサンだったら、居酒屋とか、赤提灯とかです・・。またこういう感じで分った風なことを言って、分った風な気持ちになって一人満足したくなるわけですよ。

もちろん意識しなくても、落ち込み現象として弱がってしまうから、自然とそうなるわけですが、問題はそのライフサイクルで満足出来るならそれでいいのですが、やっぱりどこか心の中に穴が空いている感じなのです。

どうしたらいいのでしょうか?


結論を急ぐ前に別な角度から見てみます・・・

ビジネスの世界ではメンタルトレーニングということでいろいろ研修します。そこでは強気の哲学を叩きこまれます。しかしそもそも私の場合強気でいって失敗する最悪のタイプですので、ろくに考えもせず計画性もあまり無く行動する為にほとんど途中で挫折してしまうのです。特に資金繰りで・・・。ですからそれでポンと飛びつくようにお金をドブに捨てるわけです。ネットワークビジネスだ!ってポンとモノを買って、全然売れない(--;)というハメになる感じですね。最悪(--;)


まあそうやってバカやっているうちにです。強がっている自分がだんだんと見えてくるに従って落ち込む事が少なくなってきたのも事実なのです。まあ成功もしないけど落ち込みもしないという変な世界が出来上がってきたのでした。若いときはそうじゃなかったです。目一杯自信を持ってやりますから、外すと地獄の底までまっしぐらで落ちていきます。成功もしないで落ちていくのですから、今のほうがまだマシですね。


これは自分の実体験です。若い時代は何故か強がってましたから、なにかあると奈落の底まで落ち込んでいきました。そんで自暴自棄になっていきます。性格がもっと悪かったら、ヤケのやんぱちになって人殺しでも始めたのかも知れませんが、さすがに刑務所にまで行く気にはなりませんでした。

若い人で、引きこもりになったりリスカをやったり、過食症・拒食症・うつ病その他いろいろなバージョンで苦しむわけですが、ほんともうほとほと自分が嫌になってきますね。人前でいいとこ見せたい、恥を掻きたくないと気を張ってしまうから、人の中にいるのが疲れるわけです。

そのうちだんだんと大人になっていきまして、あまり強がらず、弱さが出せるようになっていくに従い、落ち込み係数が低くなっていったわけですが、普段から弱がっているから、失敗しても差があまり無いというか、まあ当然のように思えるのでしょう・・・。その点強がっているとそうはいきません。人前で威勢のいいこと言ってますから、ずっこけたら最後その惨めさは半端じゃありませんから、「もうどうしよう・・・・」という感じの夜になります。

人間年齢を重ねていくとある程度このあたりの道理が分ってきます。強がっていると損するな・・・自分を守る事に汲々とすると疲れるな・・・ということが分ってきますから、徐々にカミングアウトするんじゃないでしょうか?

傷つき易い心はそれはそれで役に立つと言います。そのことによって人間的に注意深くなっていくし、こういう発言をされたら人は傷付くから、こんな言い方をしたらいけないと思えたら、その気付きが人から好意を持たれる材料にもなります。

ただ傷つき易い心をそのままにしたら何時まで経っても傷ついて苦しいわけだから、そこは図太い神経になる必要があって、どうしたらいいかですが、それがこのコーナーのテーマになってきます。読んでいるうちに(書いているうちに)自然と心の鎧が解けていくような世界が出来ないかとは思っているのですが・・・。

心が寂しくもがいているのは、心が脆すぎるからで、一見して気が強く見える人ほど、意外と傷つき易い人が多いそうです。そこでその防御策として、先手必勝で強く出るという習性を身につけてしまった人が成功したりします。人をからかう事が好きな傾向の人も同じで、自分が笑われるとそれを倍にして返します。自分が侮られないようにするためにそういう先手必勝型の習性を身につけていきます。

とにかくいろんな自己表現の方法があるでしょうが、究極は柔軟な発想を持った心だと思いますよ(^^;)これさえあれば他は何もいりません!と言えるほど、決定的に心を楽にさせてくれる感じがします。心は1日24時間ついて回っているし、対象はいろいろあってもそれを認識するのは心一つですから、そのベースの心が水のように柔軟になれたら、楽ですよ。現代はガチガチにナリガチですよね。人の話を良く聞かないし、注意されても納得しないです。

人間の究極の目標は「楽」なんじゃないでしょうか? 楽であるなら、少々才能が無かろうが、頭が悪かろうが、見た目が悪かろうが、お金が無かろうがどうという問題では無くなるわけで、楽でない理由を、何かのせいにしている事が多いです。自分の心が我を張っているだけで、その言う事を聞かない自分、どうにもならない自分が、本当は楽な状況にありながら、楽じゃないと思っているわけでしょう。ベットでゴローンと横になることほど楽な事は無いのに苦しいって思っているから、漫画だといえば、漫画です。


いい意味で心臓が強くなりたいですね。心配症も消えるし、無駄な行動もしなくなるし、仕事上の成功不成功、会社が潰れた、病気になったということも、どうという問題では無くなってくる感じです。

メーテルリンクの「青い鳥」という寓話があります。幸せを探して旅に出るのですが、見つかりません。諦めて家に帰ってきたら、なんとおうちに幸せの鳥がいた。これは身近なところに幸福があるということを語っているらしいのですが、心の中に幸せがあると解釈した方が作者は喜ぶと思いますね。

とにかく現代人(自分)はキョロキョロし過ぎです。あれが欲しい!こうなって欲しい・・・あっちの職場が・・・こっちの仕事が・・・もっといい人いないかなあ・・・と思う前に、もっと遥かに必要なものが強い自分の心でしょう。それが手に入ったら、もう何も要らないといえるぐらいのものなのですが、なんとそれは、基本的にすでに手中に収めています。自分の心が強いだけで幸せになれるわけだから、強く思えばいいということなのでした。

ところで、心が楽になる、幸せを感じる方法は大きく分けてふたつあるようです。つまり目的地に行くのに、あちらこちらで買い食いして寄り道して行くか、それともわき目もふらずに即“幸せ便”に乗るかという二つの選択肢であり、一般世間的には自由気ままな買い食いの道が常識になっているでしょう。友達とのショッピングは楽しいし、華やかな世界につかっていると自分が最先端に見えたりします。またディズニーランドのように賑やかなほうがワクワクするというのもいれば、心が恐怖に怯えている人は、ニシキヘビのようにじっとしていた方が幸せです。

ところがもう一つの道、楽しまないで、遊ばないで、即、幸せ便に乗ってしまうという世界もあるのです。どういうことかというと、世間的欲求丸出しの求め方というのは、お金が幾らあっても足りないので、ある程度経済的に余裕がないとストレスが逆に溜まっていきます。食べたいけど食べられない、買いたいけど買えない、やりたいけどやれないことが多いですから、楽を求めながら、いつも不満なわけです。ましてや友達がお金持ちで、いつも優雅でモテて楽しそうにしていたら、こっちはうつ病になってしまいます。娑婆というのはまあそういう世界でもあるので、もうこんな世界なんか嫌だ!ということで世間を超越して生きるようになっていくわけです。

つまりです。お金があまり無くても楽になる方法があるなら、知ったほうがいいわけで、しかもお金を持った生き方よりもっと楽になるという話ならなおさら理解した方がいいでしょう。そんな世界があるのかというとあるんですよ(^^)。超貧乏でも幸せになる方法があるんです。しかも大金持ちよりもです。


しかも足が太くても、ブスでも、頭が悪くても、能力が無くても、孤独でも老人でも、足が無くても、大変な病気でも、超貧乏でも、誰でも幸せになれる道があります。


どこにあるのか?

ここです(^^)V
ここにあるんですよ!
ここです。ここ!


どんな人間でも幸せになる方法が

あるのです。



全然綺麗で無くても幸福になれる世界があります。

まったくお金が無くても大金持ちより満足して生きる方法があります。

孤独なのに超楽しく、とっても面白い世界があるのです。

(^^;)

嘘だと思ったら

たまにこのサイトに来て、遊んでいってください。

だんだんと分ってきますから。


心がもうちょっと楽になる方法

(美容・健康・ダイエット超越法)
サブタイトルは世俗的な言い回しで超越法とあります。超越して初めて、その下の世界が理解できるというわけですが、本質が知りたいなら鳥のように俯瞰して大地(迷路)を見るしかありません。迷いの世界でぐるぐるとネズミのように這いずり周り、自分の人生これでいいのかなあ?と疑問符状態で生きていると死ぬまで疑問符状態で終わってしまいます。

ここが人生の妙であり宇宙の神秘なんだろうと思います。楽な世界は心のセンターにあるのでそこで住めばいいだけのことですが、そんな世界があるかと思うわけです。そして永遠に迷いの箱から抜け出そうとしません。「人生は悩み苦しみ、迷うものだ!」と、救いようが無いほど文学人を気取って強がって死んでいく人が多いです。

今のレベルをもし卒業したいというのなら、今のレベル(価値観)を捨てる必要があるし、捨てるから次の段階に上がれます。旧態依然とした自分の価値観を徹底的に捨ててください。根こそぎです。そして子供であろうがミミズであろうが、猫であろうがどこの馬の骨だろうが、素晴らしいと思ったら謙虚に学んでいくようにします。自分の価値感を大事にしていることを、井戸の中の蛙といって、まったく世界は広がらないし、暗いし、じめじめしています。


人間は誰しも何かを求めながら生きています。何かを求めているその何かとはなんでしょうか?当り前のものを求めているんでしょうか?1万円出したら買えるようなそんな他愛もないものを求めているんでしょうか?そんなオモチャのような世界の楽しみは、硝子細工の幸せでしかなくて、最後は悲しくぶち壊れて終わります。例外は、ありません。

本当に例外は無いです。最後はみんな悲しい幕引きをします。強がれば強がるほど悲しい結果が待っています。物的に恵まれた人生ほど、最終結果は惨めなものになっていきます。誰もが羨むような温かい家族の一人の死ほど悲しいものはないように・・・。

本当は誰でも簡単に幸せになれます。一人残らず簡単に幸せになれます。それは今、自分の心が幸せだなあ~、と、思うだけの、程度の、話でしかありません。その思いを、5分、10分と増やしていけばいいわけです。


若い頃は失敗ばかりしていました。今でも失敗しているかもしれません。(--;)しかし落ち込むということは無くなりました。それは自分のバカさ加減に感謝しているからです。あーこんなにバカだったのか!こんなにアホだったとは思わなかった!あーまた少し自分を知ることが出来て進歩したなあ~と思うわけです。(^^;)

知らないこと、気がつかなかったことに気が付いたわけですから、関心したらいいんですね。凹んでいる場合じゃないんですね。

だから失敗したら感謝するといいですよ。信じられないかも知れ無いですが、今は怒った事もないし、喧嘩したこともありません。怒る対象が無いです。みんな面白く可愛いですよ。自分も含めて人類はみんなバカ丸ダシで生きています。(--;)



ほとんどの人間は自分の強がり度が見えていません。強がっているから、苦しさを感じるわけです。強がっているから、心が裸に出来ません。みんな強がっているから、素直に話も出来ない。強がっているから、負ける事を恐れ逃げてばかりいます。そして強がっているから、助けてくれる人もいないわけです。

話を少し戻します。

強く生きようとしたら強がってしまう。しかし強がらない事が、強く生きることである。かといって弱がっていたら頭がおかしくなってきます・・・


そこでまとめです。


これは旧態依然とした発想では解決しないということでもあります。迷路から抜け出すには、鳥のように空から俯瞰する必要があります。そして出口から辿っていけばすぐに答えは見つかるでしょう。

また数学論的インド哲学の世界なんかでは、迷路は存在しません。壁は存在しないです。人生には壁がつきものですが、壁は本当はありません。道しかないです。どういうことかというと、壁にそって歩いていくと、必ず出られるのです(^^)。つまり心の障壁は、無いのです。ドン詰まりの道って心には無いわけです。

ですから今これが最善だと思った道を進めばいいわけです。そして5分でもいいから「今幸せだなあ~」と思える時間を作って、1日1日その期間を長くしていきます。後は出来るだけ気が付く範囲で自分の強がり度を調べてみるといいですね。


次回は、なんで感謝できないのか?なんで凹んでしまうのか
そんな事を書いてみます。